ウチの母は「アホ」でホントに感謝している。
親に向かって「アホ」とは何てことを言うんだ、と怒られそうだが、本当のことだ。
でもこの「アホさ」は、天才的でもある。
ウチの3匹の愛犬のうち、1匹は保護犬だ。
繁殖のためだけに飼われ、子どもが産めなくなったから捨てられた犬だ。
お腹に帝王切開の傷痕もある。
ケージに入れられたまま歩くことができなかったせいで、手足が変形している。
子どもを産むのに「毛」が邪魔だからと全部、剃られていたから、来たばかりのころは、まだ「ハゲ」がところどころにあった。
「もう生えてこないかもね」
と獣医に言われたが、ご飯を手料理してバランスを考えたら、毛が生えてきた。
今では、すっかりフサフサで、毛並みもよく、女王様をやっている。
しっかりと「家犬」になったが、それでもまだ「不安」が強いようだ。
ときどき私は、この保護犬さんを見ていると、昔の自分のように感じるときがある。
哀愁がただよい、口は「への字」に曲がっていて、目が斜視になる。
昔は斜視のことを「ロンパリ」と言っていた。
ロンドンとパリを一緒に見ることができるから「ロンパリ」。
私も昔は、ロンパリだった。
でも今は、治っている。
保護犬さんも、少しづつ治ってきてはいるが、不安が強くなるとロンパリも強くなる気がする。
そういうとき、どうしようもない「怒り」が込みあがてくる。
この子をこんなに不安にさせた人間が憎くてたまらないときがある。「だから人間は嫌いだよ」「人間は醜い」「こんな世界、来たくて来たんじゃない」全ての人間がそうだとは限らないのに。美しい人間だって、たくさんいるのに。この世界は、酷いことばかりではないのに。まるで全部が「醜い」かのように感じてしまう。そう感じている自分のことも「醜い」と思ってしまう。そういうときは本当に、顔だって歪んでいる。私が「可哀想に。誰がこの子をこんな目にあわせたの」と嘆きはじめると、きまって母は、「よしっと! じゃあ、そいつのとこに行ってウ〇コしてくるか!」と言って、ケツをまくる仕草をする。その言動に、いつも救われている。「クスッ」と笑えるセリフと仕草は、怒りを収めてくれる。復讐したい気持ちも失せるってもんだ。母はいつも誰かが、「あー頭きた」と言うと、「よしっ! そいつの玄関先でウ〇コしてやる!」と言って、事を収めてしまう。笑わせて何もなかったことにしてしまう。これもひとつの才能だろう。そんな母だが、最近、仕事先の階段にウ〇コをされて、掃除をするハメになったという。犬のウ〇コとかではなく、あきらかに人のウ〇コだったそうだ。「誰がこんなところにウ〇コするのよ!」と怒っていたから「あっ! いつも『ウ〇コしてくる』って言ってるからじゃない?」と言ってあげた。「あー、そうか」と納得する母。恐るべし「言霊の力」
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