その3
「ふつうのプロフィールが、どうもしっくりこない」
ずいぶん前に、とある会社の訪問員が来た。
なんだったかよく覚えていないが、丁重にお断りをしたら、
「俺は、ムショあがりなんだよ!」
と脅されたことがある。
だから言ってやった。
「それがどうした? 私は母親なんだよ! 女の腹から生まれてきたくせに、なめてんじゃねーぞ」
と。
子どもたちが幼い時期だったので、私もずいぶん強かったな~。
ヘビに立ち向かう「めんどり」のごとく、怖いものなしだった。
というより、そういうヤツの「弱さ」を見ることが私にはできるのだ。
これも能力のひとつかな?
それとも普通のことなんだろか?
人を脅すようなヤツは「弱い」から脅すんだ。
強いヤツは脅したりなんかしない。
だから、そういう弱いヤツの「裏の顔」が私には見える。
オドオドして、今にも泣きそうな顔が。
その顔に一喝すれば「泣きっ面に蜂」だ。
私の特技としたら、そういう感覚的なことが瞬時にわかるぐらい。
唯一、自慢できることと言えば、馬鹿で未熟な私が、二人の子どもを育てたことぐらいだ。
職業 : 母
でいい。と思っていた。
そんな子どもたちも、バタバタ巣立ってしまい、母親業は一生続くとしても、もう「ご隠居さま」なんだ。
ご隠居さまは、よくあるプロフィールより、なんかもっと新しいプロフィールを書きたいと思ってしまう。
特に自慢するようなことはないし、私は誰か?と聞かれたら、誰でもない。
そういう「誰でもない私」も、けっこう好きなのだ。
何者でもないっていうのは、楽でいい。
「誰か」「何者か」になってしまうと、そこから固定されてしまって、そこを軸にして言動が決まってしまうかもしれない。
そうすると、また「嘘ぶいた私」とか「我慢している私」とか出てきそうで嫌なのだ。
いつもよく目にするサイト。
職業・オレ~生き方をお金に変えるメディア~ (skuwana.info)
「職業:俺」って、いいなと思う。
しかし、もう一人の私が、
「それもいいけど、何にもなれないじゃん。それでいいの?
な~んにも挑戦しないで退屈しない?」
と言ってくる。
「何者か」になりたがっている「私」もいるのだ。
こういう葛藤を表現するには、どうしたらいいのかね。
コメント