子どもたちが巣立つ前ぶれ

子育て
Sheep with small lambs in a grassy field in springtime
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テレビが嫌いだ。

観ていると、楽しすぎて時間を忘れてしまうからだ。

ほっといたら何時間もテレビの前にいることになる。

ただでさえ忙しいのに、ボーと何もしない時間がもったいない。

それでも一人でいるときは、観ていなくてもテレビをつけてしまう。

声が聞こえているだけで安心なのだ。

そんな、いろいろ矛盾する「テレビさん」に助けてもらったことがある。

あれは、子どもたちが「巣立つ」前ぶれだった。

二人とも同時期に、家を出る準備をしていた。

一人づつならまだしも、さすがに二人いっぺんに出て行ってしまうと寂しい。 

    これでお金が浮く。 

    洗濯物も少なくなる。 

    部屋が片付かなくてイライラすることもない。 

    下駄箱もぜんぶ一人で使える。

そんな小さな「理由」を考えたって、寂しいものは寂しいのだ。

そのちょっと前に、一生に一度あるかないかの「大ゲンカ」を息子としたばかりだった。

そこで私は「出ていけ!」と怒鳴った。

息子は、それで家を出たわけではないが、仕事の関係で本当に出ていくことになったのだ。

それもあって、やっぱり「心にもない」ことを口走ってはいけないと痛感した。

そうやって自分の「ひと言」に後悔していた時期、ふと付けたテレビで、動物が子育てを終えて、子どもたちを巣から追い出している場面があった。

なんの動物だったか覚えていないが、アナグマのような小さな哺乳類だった。

子どもたちが何度も「巣に入れて」と近寄ってくるが、父と母の両方で、すごい剣幕で追い払っていた。

その両親は、次の子どもたちのために、もう大きくなった子どもは、巣から追い出さなくてはいけないという。

何度も噛みつかれて、激しく怒られた子どもたちは、慣れ親しんだ「巣」と「両親」を見つめながら、ゆっくりと去っていった。

それを観て、涙がボロボロと流れた。

いつまでも流れた。

これを打っている今も、涙が流れている。

「動物たちも頑張っている」

「自然の流れに逆らってはいけない」

私だって動物だから、自然の流れに逆らってはいけないのだ。

必要なことだった。

受け止めるんだ。

と思ったら、寂しさはどっかへ消えた。

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