今朝、いつものように玄関掃除をするため扉を全開にしたのだが、
細い隙間から一匹の蛾が「ひらり」と出てきた。
「こんなところに、どうやって入ったのだろう」「ドアを閉められて、出られなくなっちゃったんだね」
と考えながら、玄関の水ぶきをする。
ふいに、家の中に虫が入ると、大騒ぎをする娘のことを思い出した。
「家の中に入るから、殺されちゃうんだよ」「外にいれば人間に殺されなくて済むのに」
と、隣の家の壁にはりついた蛾に向かって、心の中で話かける。
蛾は、「外のほうが危険なんだよ。いつ誰に食べられるか分からないもん」と、言ったような気がした。
「それで、ここに隠れていたの?」と返しながら、
壁にとまったままの蛾を見つめていると、何故か急に、自分のことのように感じた。
居心地のよさそうに見える場所に隠れて、外に出て行かない私。本当は、その場所だって安全ではないはずなのに。
「食べられちゃうのは怖いけど、でもそれは、誰かの命になっているってことだもんね」
「この世界は、どうしたって『誰かのため』に生きなくてはいけない世界なんだ」
そんなことを考えていたら、”家の中に入ってきた虫を、すぐに殺してしまう人たち”は、理由があってそうしているような気がした。
私は、家の中に入ってきた虫たちを、なるべく殺さないよう外に逃がしているが、いつも逃がすときに、「外に出たからって、助かったわけではないよね」「どっちがいいのか分からないけど、ごめんね」と思う。
家の中で、無意味に死んでいくよりも、誰かの命になるほうがいいのかもしれない。
でも……。
誰かの、何かの、命に変わるとき、飲みこまれていく感覚はどんな感じなんだろう?
恐怖なのだろうか。それとも、幸福感を感じられるのだろうか。
またそんな答えのでないことに脳を占領されている。
「そんなこと、どうでもいいか」私は、玄関のドアを閉めた。
だが、宇宙なのか、神なのか、創造主なのか、何だかわからないが、その存在は、私に続きを考えさせた。
部屋に戻った私は、ふいにYou Tubeを開くと、
そこに
『家で繁殖させたマウスがぷっくり太ったから蛇に食べさせる』
とかいう動画が「あなたにおススメ」として出てきたのだ。
「もう~、いい加減にしてくれよ・・・」朝っぱらから、そんな動画は見たくもない。
「なにがおススメだ! 私はそんなもの閲覧したこともないわ」と愚痴を言って、削除した。
正確には、怖くて観れなかったのだが。
だが、この動画のことが、頭にベッタリと貼りついて剥がれない。アロンアルフアで貼られているのか。続きを考えるまで剥がしてくれないようだ。
だから私は、渋々、考えはじめた。
「今日はやりたいことがあったのに!」とグズってみても、聞き入れてはくれない。
本当に面倒な頭だよ。
ということで、続きは「Part 2」で。
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