「孫を乗せるからレクサスにした」と言ってしまった私の失敗

未来設計
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40代後半で施設長に就任することが決まり、慌てて自動車免許を取った。

初めての中古車に4年乗り、エンジン音が大きくなってきたので買い替えを考えた。

車種を選ぶとき、ふと「孫」という言葉が浮かんだ。

まだいないのに。


安全性を考えれば考えるほど、選択肢は一つに絞られていった。

大事なお嫁さんと、いつか生まれるかもしれない小さな命を守れる車がいい。


レクサスを買ったあと、娘が「レクサスパーティ」を開いてくれた。

そこで私は、うっかり口を滑らせたのだ。

「お嫁さんとお孫さんを乗せるからレクサスにしたんだ」と。

……言ってから気づいた。

あ、これ、完全に“圧”じゃない?

まだ子どもがいない息子夫婦に向かって、何を勝手に未来を確定させてるんだ、私は。


自分のことなら、わりと単純なのに。

やるならやる。

失敗するならさっさと失敗する。

ダメなら「あ、これダメだったね」で終わる。

私は、わりとそういうタイプ。

でもね。

大切な人のことになると、 急に、手も口も足も、不器用になる。

どう言えばよかったのか。 そもそも言わなきゃよかったのか。

今さら「孫なんかいなくてもいいよ」って言ったら、 それもそれで変じゃない?

あーもう、口ってなんでこんなに難しいんだろう。


その次の月から――

お嫁さんは治療に踏み切った。

聞いたとき、嬉しさと同時に、胸がざわっとした。

うれしいと、ぎゅっとする感じが混ざっていた。

言葉の重さを感じた。

私の一言が、 背中を押してしまったんじゃないかって。

でも同時に、 応えようとしてくれたのかな、なんて 勝手に思ってしまう自分もいて。


人間って、ほんと複雑だ。

ここで私は、もうひとつ考えてしまう。

私は、動物実験廃止を訴えている人間だ。

医療の多くは、動物実験の歴史の上にある。

じゃあ私は、矛盾してるの?

正直に言うと、 一瞬、そう思った。

でも違う。

私は、お嫁さんの選択を否定したいわけじゃない。

それは彼女の身体で、 彼女の人生だ。

私は口出しなんてしない。


でも、問いは消えない。

命を望むことと、 命を消費する構造は、 同じであってほしくない。

もし未来に孫が生まれるなら、 その子にどんな世界を渡すのか。

動物を犠牲にしてきた仕組みを 「まあ仕方ないよね」で済ませる世界か。

それとも、 「ここから変えよう」と言える世界か。

孫が欲しいかどうかより、 私はそこが気になる。


だから、お嫁さんにはこう言おうと思う。

「あなたの身体が一番大事。 どんな結果でも、あなたが笑っているほうがいい。」

孫より先に、 あなた。

そしてその先に、 すべての命。

レクサスより、 ほんとはそこが大事なんだよね。

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