花や植物とは「気」が通う Part 5 本当に伝えたかったこと~あなたの大切な人の瞳にはアナタが映っている~

雑記
close-up shot of woman with beautiful eye looking at camera
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「涙を流さないようグッとこらえた」

「大好きな人を困らせたくないから、我慢して涙を呑んだ」

そんな経験はありますか?

「ありますか?」と、いつもとは違う文体を使ったのは、「どうかお願いします」という意味をこめて伝えたいからだ。

そのお願いしたい事とは「大切な存在に忙しくても声をかけて、気にしてほしい」というもの。

それは、自分自身のためでもあるのだ。

いつか「別れ」がきたとき、後悔しないために。

私は、介護施設で従事した経験から「いつも寂しさを我慢しているご高齢者」をたくさん見てきた。

「本当は家に帰りたい」

「本当は家族にもっと会いたい」

だけど我慢しなければいけない、と思っている。

施設では、他にもいろんな事を我慢しなければいけない。

それは、すこし「収容所」を思わせる雰囲気だ。

介護士たちは、常にこの感覚に耐えながら仕事をしている。

どんなに認知症でも、家族の顔を覚えていなくても、人は最後まで「人を」求めている。

息子さんに「今度はいつ来れる?」と聞いた方がいた。

「俺だって忙しいんだよ!」

と言われたとき、「そうだよね、ごめんなさい」と笑っていたけど、涙をグッとこらえていた姿が忘れられない。

こればっかりは、私たち介護者だけでは、どうにもできないのだ。家族の代わりにはなれない。

あなたには、仕事にスマホ、おしゃべり、お酒やゲームがあるかもしれない。

やらなきゃいけないことも、やりたいことも、単に気を紛らわせるだけのものも、たくさんあるかもしれない。

でも、ペットや施設に入った両親にとっては、もう「アナタ」しかいないのだ。

「誰も気にかけてくれない」

自分がもし、そんな気持ちになった時のことを想像してみたら分かると思う。

「気にはかけてるつもりだよ」

「忙しくて、そんな暇ない」

たしかに今の時代は、情報もやることも多すぎて、一日24時間では足りないほどだ。

家族や大切なものだけでなく、SNSで知り合った友人、仕事に関係する人物、コニュニティなど、様々な人とのコンタクトを取っていかないといけない。

しかし、「明日、会えなくなっても気にならない」人のために大切な人との時間を削ってまで、疲弊してまで、付き合う必要はないと思うのだ。

なぜ、この話が前回 Part 1~4の続きなのかというと、花や植物までもが人の思考を読み、感情的に反応しているのなら、人ならなおさら、飼っているペットたちだって「気にされたい」と思っているはずだ、というのが主旨である。

親の危篤を知り、急いで駆け付けた先で、つい最近まで元気だった姿とは別人の「変わり果てた様子」を見て、膝が折れたようにガクッと、泣き崩れた家族。

そして、「おととい電話をしたとき、もっと話を聞いてあげていれば良かった」

と、後悔の涙を流した。

大切なペットたちは、人よりも先に死ぬ。

それは、「生きているものは、いつか必ず死ぬ」ということを教えてくれているのだ。

私も、幼いころから、たくさんのペットたちを看取ってきたが、何度同じ経験を重ねても、悲しみは小さくならない。

「もっと一緒にいてあげれば良かった……」

しかし、悲しみを消す努力をするとね。

同時に「嬉しさも喜び」も消してしまうんだよ。

悲しみを小さくすることはできないかもしれないが、後悔しないようにすることはできる。

いつか大切な人やペットの命がなくなるとき、後悔しないために。

自分自身を大切にするために。

どんなに忙しくても

「気にして、声をかけて、目を見つめて」あげてほしい。

あなたの大切な人の「目」を見てほしい。

瞳の奥に見えるもの。そこにはアナタが映っている。

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