「涙を流さないようグッとこらえた」
「大好きな人を困らせたくないから、我慢して涙を呑んだ」
そんな経験はありますか?
「ありますか?」と、いつもとは違う文体を使ったのは、「どうかお願いします」という意味をこめて伝えたいからだ。
そのお願いしたい事とは「大切な存在に忙しくても声をかけて、気にしてほしい」というもの。
それは、自分自身のためでもあるのだ。
いつか「別れ」がきたとき、後悔しないために。
私は、介護施設で従事した経験から「いつも寂しさを我慢しているご高齢者」をたくさん見てきた。
「本当は家に帰りたい」
「本当は家族にもっと会いたい」
だけど我慢しなければいけない、と思っている。
施設では、他にもいろんな事を我慢しなければいけない。
それは、すこし「収容所」を思わせる雰囲気だ。
介護士たちは、常にこの感覚に耐えながら仕事をしている。
どんなに認知症でも、家族の顔を覚えていなくても、人は最後まで「人を」求めている。
息子さんに「今度はいつ来れる?」と聞いた方がいた。
「俺だって忙しいんだよ!」
と言われたとき、「そうだよね、ごめんなさい」と笑っていたけど、涙をグッとこらえていた姿が忘れられない。
こればっかりは、私たち介護者だけでは、どうにもできないのだ。家族の代わりにはなれない。
あなたには、仕事にスマホ、おしゃべり、お酒やゲームがあるかもしれない。
やらなきゃいけないことも、やりたいことも、単に気を紛らわせるだけのものも、たくさんあるかもしれない。
でも、ペットや施設に入った両親にとっては、もう「アナタ」しかいないのだ。
「誰も気にかけてくれない」
自分がもし、そんな気持ちになった時のことを想像してみたら分かると思う。
「気にはかけてるつもりだよ」
「忙しくて、そんな暇ない」
たしかに今の時代は、情報もやることも多すぎて、一日24時間では足りないほどだ。
家族や大切なものだけでなく、SNSで知り合った友人、仕事に関係する人物、コニュニティなど、様々な人とのコンタクトを取っていかないといけない。
しかし、「明日、会えなくなっても気にならない」人のために大切な人との時間を削ってまで、疲弊してまで、付き合う必要はないと思うのだ。
なぜ、この話が前回 Part 1~4の続きなのかというと、花や植物までもが人の思考を読み、感情的に反応しているのなら、人ならなおさら、飼っているペットたちだって「気にされたい」と思っているはずだ、というのが主旨である。
親の危篤を知り、急いで駆け付けた先で、つい最近まで元気だった姿とは別人の「変わり果てた様子」を見て、膝が折れたようにガクッと、泣き崩れた家族。
そして、「おととい電話をしたとき、もっと話を聞いてあげていれば良かった」
と、後悔の涙を流した。
大切なペットたちは、人よりも先に死ぬ。
それは、「生きているものは、いつか必ず死ぬ」ということを教えてくれているのだ。
私も、幼いころから、たくさんのペットたちを看取ってきたが、何度同じ経験を重ねても、悲しみは小さくならない。
「もっと一緒にいてあげれば良かった……」
しかし、悲しみを消す努力をするとね。
同時に「嬉しさも喜び」も消してしまうんだよ。
悲しみを小さくすることはできないかもしれないが、後悔しないようにすることはできる。
いつか大切な人やペットの命がなくなるとき、後悔しないために。
自分自身を大切にするために。
どんなに忙しくても
「気にして、声をかけて、目を見つめて」あげてほしい。
あなたの大切な人の「目」を見てほしい。
瞳の奥に見えるもの。そこにはアナタが映っている。
コメント