スイカを食べることに許可が必要だった私

雑記
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「花と石(宝石)と金はいくらあっても困らない」

こんな欲の塊みたいな言葉を、私はあえて自分に言い聞かすようにしている。

なぜなら、

「自分の好きなものや事に、素直に、忠実に、向き合っていく!」

と決めたからだ。

自分が好きなものは好きとちゃんと言えることは、自分を大切にしていることになると思っている。

少し前の私は、大好きなスイカを食べるのさえ「許可」が必要だった。

「あースイカ食べたいな」

と思っても

「でも我慢しよう」

と思った。

我慢して買わずに帰ると、パソコンやスマホの画面に、たまたま出てきた、

『スイカは美容と健康にとってもいいんです。ある美容家は、冬でもスイカで水分補給をされているそうですよ」

という情報が載っていたり、占いで、

『ラッキーアイテムは、スイカ』

などと言われると、

「それじゃあ食べようか」

と、ようやく自分に許可を出す始末だった。

もちろん私の自己肯定感や自己価値観の低さからくるものだ。

 ※詳細は、プロフィールにて(予定)

自分で自分に罰を与え、ずいぶんと大変な目にもあった。

いい人になろうとして、何でも自分で背負ってしまったため、責任をすべて押し付けられるということもあった。

世界の残酷さや、行ったこともない国で起きている争い、動物たちの悲鳴、人間の醜さ、SNSで流れてくる残虐な映像……。

それらを、まるで自分のことのように考えてしまうと「自分をとてつもなく醜い場所へと連れていかれる」という経験もした。

『十字架を背負う前に、自分で自分を幸せにしてあげないと、世界どころか、たった一人さえも救えないで終わる』

そう気づいたから、少しづつでも前に進んでいる。

どんなに些細なことでも、自分を大切にしてあげるんだ。

今は、果糖の摂りすぎには気を付けるが、食べたいものは、食べたいときに食べるようにしている。

それを作ってくれた農家の人にも、大変失礼だったと思う。

毎日、休みもなく一生懸命、私の好きな果物や野菜などを作ってくれている人に感謝をしなければいけないのに、拒否をしていたのだから。

いまでは、

「いつも美味しい物を作ってくれてありがとうございます」

と感謝をしながら、好きなものを食べている。

私が食べることで、農家さんの収入にもなっているのだから、罪悪感を感じるどころか、むしろ私は貢献しているのだ!

と、思うようにした。

「ちっぽけな私でも、生きているだけで少しは役にたっているよ。

えらいなー私」

と、自分で自分に言ってあげる。

そうすると、私の中のもう一人の自分が、少し機嫌をよくして、素直に前向きになってくれる。

まだまだスネてることが多いけどね。

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