サンスクリット語で般若心経

雑記
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何年か前に、突然、般若心経が聞きたくなってCDを買った。

そのCDの中には、日本語、中国語、韓国語、サンスクリット語などで般若心経が録音されていたのだが、何故か、

「サンスクリット語だ!」

と思い、ただただ、ひたすらサンスクリット語で般若心経を聞いていた時期がある。

それも、ある一つの部屋でだけ聞いていたのだ。

その3ヶ月後、訳あって祖父母の墓が無くなることになった。

遺骨を墓から出し、一時的にウチで保管することになったのだが、置く場所に困り、結局、

般若心経を聞いていた部屋に置くことになった。

ふたつの遺骨を置いておくには、そこしかなかったのだ。

その骨壺をみて、「あ~、このために般若心経をかけていたのか」と思った。

まるで、空間を浄化するかのように、墓から出された怒りを鎮めるかのように、意味があるように思えた。

その後、新しく購入した墓に納骨してから、般若心経をかけることはなくなった。

般若心経が、どのような内容のものなのかさえも知らなかった私。

足りない頭で、何とか意味を調べたり、サンスクリット語で唱えるほうが、音としては原文に近いと知ることができた。

そうやって、ときどき(ほぼ全部かもしれないが)自分でやっていることなのか分からなくなることが多いが、あとから考えると意味があったと思うのだ。

まあでも、広いところから狭い墓に移されて怒っているだろうと考えるのは、人間特有の勝手な思い込みなのに、それに一体なんの意味があるのか、とも思うが。。。

新しい墓石には「○○家」という昔ながらの表記はせず「One and Only]と掘ってもらった。

祖父母は私にとって唯一無二だ。

祖父母よ。小さくても頑張って買った墓なのだから少々狭くても我慢しておくれ。

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