プロフィールを書き進められない理由5連発 その5「私だって虫だもん」

心理
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私は今、お茶を飲んでいる。

普段はあまり飲まない「緑茶」を飲んでいる。

ありがたいことに日本では、水分補給をするにも種類が豊富で、いつも同じものを飲んでいる人はめったにいない。今は「水」が飲みたいのか?それとも、野菜ジュースが飲みたいのか?エネルギードリンクが飲みたいのか?

その時の気分や、体が必要としているものを選んで、飲むことができる。

温かいココアが飲みたいときは、ちょっと「ほっこり」したい気分だったり……。

炭酸飲料が飲みたいときは、スッキリしたい気分だったり……。

しかし、今「なぜ」これを飲んでいるのか、とは考えないで飲んでいる。

そんなふうに、これまで選んできたようで、選ばされたものとか。

必要だったから出会った人とか。

「いらない」と思っていたけど、実は大切なことだったとか。

言葉や本も、そんなモノだと思う。

「あのとき出会った、あの言葉」「あのとき出会った、あの本」そういうモノたちで、今の「私」はできている。

今おもうと、その時その時、出会ってきた人たちというのは、「その時、必要だった人」ということが良くわかる。言い方はすごく悪いが、「その時のレベルにピッタリな人」だったと思うのだ。

もっと違う言い方をすると、本当は「答え」はすでに自分の中にあって、「それでいいんだよ」と背中を押してくれるような人が現れるのだ。

現れるというより、目にとまるものが、「自分の思考にマッチした人のみ」なのかもしれない。

もしも、タイムマシンで過去に行くことができたとしても、「虫一匹」持ち帰ってきてはいけない。

その「虫一匹」だけで、生態系がガラリと変わってしまうから。

そんな話があるように、人は、朝、目が覚めてから「右足から歩きはじめるか」「左足から歩きはじめるか」だけでも、全然ちがう一日が決まるという。

虫一匹で未来が変わるとしたら……?

私だって、虫一匹ぶんぐらいはあるよ。

「私だって虫だもん」

一人でも、誰かの役にたてば、それでいい。そんな気持ちで、書いている。

ということで、今「プロフィールが書けない」のなら、それはそれで、必要なことなのかもしれない。

書けないなら、書かなくてもいい。書きたくなったら……書けばいい。

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