その2「肩書がアイデンティティになっている人をみると寒い」
私は、介護施設で施設長を経験したことがある。
なりたての頃は「施設長」と呼ばれると、ちょっと嬉しかったりしたが、徐々に「これはまずいぞ」という感覚になった。なんで「まずい」のか、当時はわからなかった。
でも、こういう「感覚」でしかわからないことを言語化できるようにする訓練のためにもブログをはじめたのだ。
私は、「施設長」が「私」になっては「まずい」と思った。
「肩書き」が「私」であってはいけないのだ。
「私」はいつでも「私」でいられることが大事。
そんな感覚だ。
論理的思考力がない私が、この「感覚」を言語にするのは本当に難しいことなのだが、たぶんどこかで「肩書きを振りかざしている寒い人」に会ってきて「寒っ!」と思ったんだろう。
「俺は○○会社の部長だぞ」と言われたって、「だから何ですか?」といった感じだ。私には関係ない。
だけど、きっと皆は優しいから、そのプライドを傷つけないようにしてあげるんだと思う。
関係なくても「エライ人」として接してあげている。
すごい会社の部長だろうが、社長だろうが、通用するのは「その中」だけなのに、外でも「威張る」のは見ていて寒すぎる。
そうやって外でも威張っていないと、会社で勢力を発揮できないとしたら、ホストの人格(主人格)が弱っているからだろう。
細い骨にいろんなモノをつけて、ゴテゴテにしていないと、気になってしかたないタイプだ。
とか言いながら、私が後任に選んだ「次期施設長候補」はまさしく、このタイプだった。
話を持ち出したとたんに「エライ人」になった。
背筋も伸びて、見た目もホントに「大きく」なった。
「こりゃまずいな」と思ったが、やっぱり「縁」がなかったらしい。
自分は施設長になる器があると信じて、あと数か月待っていれば確実になれたものの、自信がないから彼は「保険」をかけたのだ。
結局それがアダとなって、後任にはなれなかった。
どんな人なのかを「職業」ではなくて「知る」方法がないものか?と、いつも思う。
とはいっても、やはりプロフィールには「どんな仕事をしている人」なのか書かなくてはいけない。
「フリーター」では「どんな人なのか」はわかってもらえない。
おまけに言葉だけでは、かなり難しい。
YouTubeなどの画像なら、ある程度「非言語」の部分でどういう人格か分かる。
ちなみに、どうして「すごい人」の中にはこの「非言語」を大事にしない人がいるのだろうかと思う。
とある企業の社長さんは、どうやら「はだかの王様」になっているようだ。
今の時代に、大名行列に似たような巡回をしているという。
よくよく聞くと、巡回という名目の「独りよがり」だ。
日時を勝手に指定されて、管理者は絶対にその日は休めない。
到着時間を指定して、10分前からスタッフ一同を玄関前にスタンバイさせる。
寒空の下、現場をほったらかしにして、凍えながらお待ちしていても、お声もかけてもらえず、手土産を片手でポンと渡すと、5分もしないうちに、さっさとお帰りになるそうだ。
まさしく「HOT」なのは自分だけで、周りはみんな「freezing cold」
「寒い」ことには、気づいていない。
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