長男の莉々斗が、小学生にあがったばかりの頃だった。
私は、同じクラスの女の子のママ、Dさんから目をつけられてしまい、何かと嫌がらせをうけたり、悪い噂話を流されていた。
その頃、長女を出産したばかりで、学校行事に参加しても、乳児を抱えた私は、ママ友と交流することはなく、そのまま帰ってくることが多かった。
ママたちとのコミュニティに参加できないことをいい事に、Dさんは、ますます私の良くない噂を流したり、ありもしない事を吹聴していた。
そのストレスと育児の疲れで、少々私は、莉々斗のことを可愛く思えなくなっていた。
莉々斗にしても、妹にママをとられているストレスがあったのだろう。ときどき妹をイジメたり、ワガママを言ったり、学校でも問題行動が多かった。
Dさんは、莉々斗の問題行動を大げさに言いふらし、私と莉々斗を孤立させようとしているかのようだった。
そんなとき、同じクラスに転校生がやってきたのだ。
転校性の家は、当時住んでいた私の家の近所だったので、学校が終わると、よく莉々斗と一緒に帰ってきた。
それをきっかけに私は、転校生のママ、Aさんと会話をするようになり、仲良くなっていった。
すると、DさんはすぐさまAさんに取り入り、私の悪口を言い聞かせているようだった。
何も知らないAさんは、どうしたらいいのかわからない様子だったが、とにかく私が言っていることも、Dさんが言っていることも、まずは聞いてみようというスタンスだったようだ。
しばらくして、DさんとAさんが突然ウチにやってきた。
玄関先で二人は、何やらコソコソと話をしている。私がドアを開け外に出ると、Dさんは、
「やっぱりね、こういうことは言っておかなきゃダメなのよ!」
と、Aさんに何かを言わせようと躍起になっている。
Aさんは、すこし躊躇いながら、
「今日、学校の帰りにみんなでチャンバラごっこをしながら帰ってきたらしく、莉々斗くんの傘が、ウチの子のランドセルにあたったみたいなんです」
と話すと、
「別に、ケガはしていないんです。ランドセルなんだけど……。
でもそんなことは、子どもならあることだから……」
と、なぜかモゾモゾしている。
私は、何が言いたいのかわからないので、黙って聞いていると、
「だからチャンバラごっこをしていたときに、Mちゃんのランドセルに莉々斗くんの傘があたって、ランドセルが傷ついちゃってるの」
と、すかさずDさんが、横から口をはさんできた。
私は、
「そうなんですか。それは申し訳ないことをしました」
というと、Dさんは、
「おばあちゃんに買ってもらった大切なランドセルなんですって」
と言う。
Aさんは、その先を言わせないようにと、手をブンブン振りながら、「そんなことは思ってない」と言いたそうに笑っていた。
しかし、Dさんは、
「だからね、弁償したほうがいいと思って」
と言ってきた。
Aさんの手は、「そんなことはない」と言いたげに、ますます大きく振られている。
それをみて私は、「またDが余計なことを言って、そそのかしているんだな」と思ったので、
「ランドセルも6年間、使ったら傷もつくでしょう。
まっさらなランドセルのまま卒業する気?
それにカバーしてるんじゃないですか?
カバーを外したらいいじゃない」
と、Dさんに言った。
Aさんの顔から、笑顔が消えた。
Dさんは、オタオタしながら
「おばあさんから買ってもらったランドセルなんですって」
などと、まだ言っている。
『だったら何にも傷がつかないように、家の中に閉じ込めておくんだな! ウチのランドセルだって、おばあから買ってもらったものだわ。それを言うなら、ウチのモノだって傷つけられてますけどね』
と言いたいところを、グッとこらえて
「だから何?」
と返した。
するとAさんは、
「いいの、いいの。ごめんなさいね」
と、Dさんを引っ張って、帰っていった。
そのAさんの態度にも、すこし不信感を抱いた。実はAさんも、新しいランドセルを買ってもらいたかったのだろうか?と考えたのだ。
そんなこともあり、その日はイライラしながら過ごしていた。
最近、莉々斗はたしかに問題行動が多い。女の子の消しゴムを隠したり、女の子の嫌がる言葉をワザと言ったりすると聞いている。
もちろん、莉々斗も悪いところはあるだろう。でも、今回の件は「みんなでチャンバラごっこをしていた」と言っていた。莉々斗が、ワザと傘でランドセルを傷つけたわけじゃない。
私のイライラは、莉々斗のせいではない。
「やっぱり、言いたいことを全部言っておけばよかった。なんで我慢したんだろう? Aさんにだって、本当はどう思っているのか問い詰めれば良かった。
相手を傷つけたって、自分の気がおさまるように言っておけば良かった」
と後悔した。
イライラは、そこから来ていることに気づいたのだ。
夕食が終わってから莉々斗に、今日あったことを話した。
莉々斗は怒られると思ったのか、「しゅん」としてしまったので、
「莉々斗に怒ってるんじゃないよ。ママは自分に怒ってるの」
と言い訳したが、怒っていることに変わりはない。
「やっぱり、こてんぱんに言い負かしてやるんだった!」と言いながら、莉々斗の顔を見ていたら
(もしも莉々斗が、こんなふうに誰かに、いじめられたら嫌だな)と思った。
だから、
「莉々斗が誰かにいじめられたら、絶対にママに相談するんだよ?
苦しい思いをして学校に行く必要はないんだから。
転校したっていいんだしね。
エジソンだって学校いってないし、別の方法を探してもいいんだよ」
と言った。それでも、なんだか足りないような気がして
「何をやっても辛くて、
ママに言っても解決しない、死にたいって思ったら、
それをママに言うんだよ? そしたらママ、一緒に死んであげるから」
と言い聞かせた。
すると莉々斗が、涙を流した。
その顔をみて私は、心から莉々斗のことを、「愛おしい」と思い、一緒に涙を流したことを覚えている。
その涙と共に、「ちょっと最近、莉々斗を可愛く思えない」という気持ちは、どこかへいってくれた。同時に、莉々斗の問題行動もなくなった。
おまけに、Dさんのおかげで「我が子がいじめにあう辛さ」を考えることができたので、Dさんにも感謝するようになっていった。
その後、学校でDさんを見かけたので、自分から声をかけた。
「この頃どうですか? ウチの莉々斗は何かやらかしてませんか?」
とたずねると、Dさんは、
「いいえ、なにも。ウチも悪いとこあるし」
と言ったので、私は、
「Dさんには、ほんっとに感謝しています!」
とだけ言い残し、サッサと帰ってきた。
それからは、Dさんの嫌がらせもなくなった。
Aさんからも、「Dさんって、あることないこと言いふらす人だってわかった。若いママを標的にしてイジメてるみたいだね」と、聞くことができたのだ。
当時、下の子に手がかかる時期は、上の子のことをつい、蔑ろにしてしまっていたが、この経験から私は、常に上の子を意識するようにした。
下の子は、放っておいても手がかかる分、関わりも多いからだ。
Dさんからイジメられた経験は、私たち親子を救ってくれた出来事だったと、本当に感謝している。
しかし、その数年後、私が勤めていた心療内科に、Dさんがご主人を連れてやってきたことがある。Dさんは、私がそこで働いていることを知ると、「別の病院にする」と言い、去ってしまったが。
Dさんも、心的に負担を抱えていたのかもしれない。
「人を傷つける人」というのは、自分がいちばん傷ついていることが多い。
だが、自分の傷を「他人を傷つけること」で治そうとするのは、傷口に唐辛子をすりこむようなものだ。
かちかち山の「タヌキさん」
カチカチ鳴ったら、後ろを振り返ろう。
自分の傷に、まずは気づくこと。
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