鬱になる方法。
あんまりお世話になりたくないメソッドだ。
昔、どこかで「ため息を2万回つくと必ず鬱になる」と聞いたことがある。
しかし、ため息は体にいいという説もある。
ため息は、呼吸を促す行為らしい。
だから、気分が落ち込んだときは、体を守るために自然にため息をついているというものだ。
いったい、どちらが本当なのだろうか。
またまた昔、心療内科で勤務していた頃、医師が
「煙草は、体にいい」
と言ったことがある。
これは、ニコチンやタールのことは置いておいて、煙草は呼吸を促す行為だから、体にいいという意味らしい。
同じような意味で、
アメリカで、ドクターペッパーを毎日飲んでいる女性がいた。
その女性は、度々、医師から
「そんなに毎日、体に悪いものを飲んでいたら早死にするよ」
と注意を受けていたそうだ。
しかし、女性は
「私は、これのおかげで生きていられるのよ」
と言って、忠告を聞かなかったそうだ。
何年かして、女性が言ったそうだ。
「私に、『毎日ドクターペッパーを飲むな』と忠告した医師は、みんな先に死んだわ」
彼女は、ドクターペッパー(好きなもの)を飲んでいるおかげで、(精神的に)健康でいられると思っていたようだ。
たしかに、すごいヘビースモーカーでも長生きしている人はいる。
アルコールを毎日、浴びるように飲んでいても、長生きする人もいる。
介護施設で5年ほど勤務した経験からも、悲観的で、愚痴の多い人は、身体機能の低下が早く、認知症の進行も早いように思える。
逆に、楽観的で、いつも「ありがとう」と言っている人は、年相応の物忘れはあるが、健やかに過ごされている。
だから、
「ありがとうと2万回言えば、幸せになれる」
という、よくあるスピリチュアル系の話をしたいわけではない。
もし、そうだとしたら、レジ打ち業務をしている人は、2万回以上「ありがとうございます」と言っているはずだ。
何が言いたいのかというと、鬱になるか、幸せになるかは、
「吐き出す息」
にあると思うのだ。
つまり、前出の「ドクターペッパーを飲み続けた女性」の言っていた
「おかげさまで」
という気持ちだ。
私の知るかぎり、同じ”ため息”でも、嫌なため息には、絶対的に「おかげさまで」という意志はない。
自分のことは棚において、なんでもかんでも人のせいにする。
そういう人は、何となく「来ないで」ほしいと思ってしまう。
近寄りたくない。
しかし、良いため息をつく人は、吐き出している時にどこか
「しかたがない」
という感じがあるのだ。
「なってしまったもんはしかたがない。でも、おかげで○○に気づけた」
とか
「自分にも責任がある。よし、もう一回やり直すか。おかげさまで健康だからな」
といった”ため息”をついているように思う。
ウチの近所のセブンイレブンには、とても感じのいいレジ対応をしてくれる女性がいる。
一日を気分よく過ごすためには、「感じのいい女性」から買いたいと思い、少々並んでも、その女性に会計をお願いするときがある。
感じのいい女性は、ひと際
「息」
が違うのだ。
「臭い」とか「ミントの匂いがする」とか、そういうことではない。
「ありがとうございます」と言うときの「息」が「粋」なんだ。
当然、美人に見える(いや、ホントに美人なのだが)。
逆に、見た目はすごい美人でも「綺麗だな」と思えない人もいる。
「息」が「無粋」「野暮」なのだ。
勉強になります。。。
私も、ため息をつくときは粋にいこう!
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